べにーのDoc Hack

読んだら博めたり(読博)何かに毒を吐いたり(毒吐)する独白

『神経とシナプスの科学』杉晴夫

 

神経とシナプスの科学 現代脳研究の源流 (ブルーバックス)
 

 

昨今、ノーベル賞を受賞されたみなさんが、口をそろえるようにおっしゃるのが「基礎科学、基礎的研究がおろそかになっているのではないか」ということでした。

その意味すらわからない理系脱落者の私には、なんともかんともなのですが、現在ノーベル賞の対象となるのは、最新の研究ではないようですので、これから20年ほど過ぎて、日本人の受賞がどうなっているのか、というところでしか測られないのかもしれません。

先手打っておけ、ということなんですが……歩み遅く、反応鈍いのは日本の伝統芸みたいなものでしょうかね。

それはともかく、いやいい本でした。

途中難しい部分もありましたが……脳に関する本をいくつか読んで、そもそも基本的なことがわかっていないな、と思い購入してみて正解です。

電磁気、生体電気の発見から始まって、イカなどの神経を研究することによるイオンチャンネルの発見、シナプスの情報伝達……もうわけわかりませんわ。

だから理系脱落者なんですけどね……。

で、知りたかったのは、「流れないのに流れる」電流、「容量性電流」のことなんです。

この基礎的なことがさっぱりわかっていなかったので。

コンデンサのことを理解されているかたには、「高校で何をやってきたのか?」と思われるかもしれませんが……ええ、はい、さっぱりでした。

本書を読んで、その一端がようやく見えました。

神経というのは長いわけですが、もしそこを電流が流れているとしたら、どう考えてもその途中で減衰して末端まで行き渡らない、と思っていました。

とすると、人間(生物)の体の中を流れている電流というのはなんなのか……。

 

 

 

 

 

 

 

あ、説明できませんけどね、まだ(なんとなく理解はしている)。

お粗末な脳みそで、何度か読み返して、少しでも理解したいと思っています……。

 

本書では、コラムとして「生理学の巨人たちの思い出」が書かれています。

これがまた、研究者の素顔を覗き見るようで面白いです。

なかなか、芳醇な知に満ちた本でした。

 

 

 

 

 

感想が短いですか?

ええ、よくわかっていないもので……。

 

 

「自然科学の歴史から明らかなように、自然現象に関する知識を整理し、これを応用して種々の機器を開発するには、対象とする現象間の定量的な関係を厳密に記述する数学が不可欠である。科学史に名をとどめる偉大な研究者はこのことをよく知っていた。例えばガリレオは「自然の法則は数学の言葉で書かれている」と言い、ケプラーは「数式の力を借りずに考えるのは暗夜に灯火なしにさまようようなものだ」と言っている。」(p21)

 

電解質溶液中の物体の周囲は電気をよく伝える電解質溶液で囲まれており、しかも荷電したイオンが絶えず運動しているので、空気中の物体のようにプラスまたはマイナスに帯電することはない。したがって、電解質溶液あるいはその中にある物体では、どの部分をとってきても、その中に含まれるプラスとマイナスの荷電は等しく電気的に釣り合っている(略)。これを電気的中性条件という。」(p26)

 

「電位勾配という言葉の意味を読者に理解していただくため、第二次大戦後しばらくわれわれが食料不足に苦しんでいた時期、日本全国で広く自作され使われていた「電気パン焼き器」について説明しよう。

これは木製の弁当箱の内側に焼け跡から拾ってきたブリキ板を切って貼り付け、家庭の交流電源(100V)につないだものであった。この電気パン焼き器に水に溶いた雑穀やサツマイモの粉末を入れておくと電流が流れて熱が発生し、パンのようなものが焼けたのである。

この場合、弁当箱内のブリキ板の間の距離を10㎝とすると、大まかに言って電位勾配は100V÷10㎝=10V/㎝である。つまり1㎝あたり10Vの電位勾配が水溶液にかかるとパンを焼く電流の熱エネルギーが得られるのである。

もし弁当箱の代わりにもっと大きな箱を使って、ブリキ板の間の距離を20㎝に増やすと、電位勾配は100V÷20㎝=5V/㎝となりパンを焼くのに必要な熱は生じない。逆にブリキ板の距離を1㎝に縮めれば電位勾配は100V/㎝となり水溶液中の雑穀粉はたちまち黒焦げになってしまう。」(p177)

 

 

「ある物体に電圧を加えたとき、電流を一方向にしか流さない性質を整流作用といい、エレクトロニクス回路には整流作用を持つ素子が多く使われている。」(p200)

 

「電気説で考えられたような電気的に活動電位を伝える電気シナプスが、ザリガニなどの甲殻類の巨大神経繊維に存在し、動物の速い逃避運動の際にはらたくことが後に見出された。しかし脊椎動物ではわずかな例外を除き電気シナプスは発見されていない。大自然は進化の過程で電気シナプスを一部の無脊椎動物で試みた後、これを放棄したとも考えられる。」(p208)

 

「わが国では以前から、無脊椎動物の中枢神経系を研究する生物学者の少数のグループがあり、彼らは研究費申請のために微小脳というカテゴリーをつくっている。無脊椎動物の脳が高騰脊椎動物の脳に比べれば「微小」なかけらに過ぎないとしてへりくだっているように思える。しかしこのカテゴリーの研究に交付される研究費は文字どおり微々たるものに過ぎない。

以前、この微小脳研究グループへの研究費がさらに大幅に減額される事態が起こった。ある作家兼テレビタレントが「わが国では昆虫や甲殻類などの無価値な研究に貴重な国費を使っている者がいる」と発言したのである。当時の文部省の官僚はこの言葉に敏感に反応し、気の毒にも彼らの研究費はタレントの言うとおり大減額を受けたのであった。

この話には続きがある。この出来事があって暫くして、すでに説明したように、米国のカンデルらがアメフラシの脳の研究でノーベル賞を受賞したのである。これを報ずる大新聞の記事に、我が国の指導的脳研究者のコメントは全く掲載されなかった。彼らのしらけきった心理が想像される。」(p303)

 

研究には金が必要なのです……だから軍事的応用が可能な研究というのは潤っている、という部分があります(日本には軍隊はないんですよ)。

『LIVE AT WEMBLEY』BABYMETAL

 (2017/1/20追記)

 メタル、聴いてますか?

というわけで、ややメタルおっさんとしては、気にはなっていたもののほぼ予備知識なしのBABYMETAL最新DVDを購入してみました(ですので、ファンの方からすればいろいろとおいおいなことが書くかもしれませんが、ご容赦を)。

まず、私の知っているBABYMETALに関することといえば、「三人組」「バンドが神らしい」といったことくらい。

まだうら若い女子がヘッドバンギングなぞして首や脳にダメージを負うのはいかがなものか、という心配をしたりもしていました。

あとは、『Kerrang!』誌で何か賞をもらったらしいこと、レディ・ガガの前座を勤めたとかなんとか、ロブさん(ロブ・ハルフォード)も認めた的な記事を読んだりとか。

最近はあまりメタルを聴いていませんし、ヘンテコな音楽をできるだけ聴きたいと思っているので正統派メタルからは遠ざかっていたもので、実際よく知りません。

ロックやメタルに関しては、原理主義的なところはほとんどないので、ヘンテコなロックやらメタルやらに対する違和感は特に持っていません(じゃないと「iwrestledabearonce」とか聴けませんわな)。

ウェンブリーアリーナといったら、エヴァネッセンスやブレット・フォー・マイ・ヴァレンタインシステム・オブ・ア・ダウンなんかもライブをやっているところですよね。

何かすごいなぁ……と思いつつ鑑賞開始(あ、このDVDしか持っていないので、曲名は英語表記しか知らないです)。

設定をよく知らないので、「キツネ」が何かも知りません。

コンセプト的に、和風なものも入っているのか……初期「ももいろクローバー」が和風アイドルユニットだったことを思い出します(早見あかりさんが好きなもので、脱退した後に、脱退前のことを調べてみたりしました)。

イギリス人の盛り上がり方は、うん、まあ、メタルに対する盛り上がり方のような気がします。

少なくとも、ケミカルライト全開点灯、という感じではない(そういう文化はないのかな)。

1曲目は「BABYMETAL DEATH」。

音は完全にメタルで、ちょっと驚きました(いい感じの音です)。

とはいえ、基本は三人組ダンスアイドルユニットなのか……アイドルのDVDなんて初めて買ったなぁ……。

メタルとダンスにはちょっとした違和感を持ちましたが、よく考えると「アクセプト」とかのフォーメーションだって似たようなものじゃないか、と……それを思えば、ダンスくらいなんだ、てなもので。

真ん中のポニーテールの人がSU-METALさんで、ツインテールのお二人が、YUIMETALさんとMOAMETALさん(合ってるのか?)。

アイドル定番の自己紹介ソングですかね……昔、友人の劇団がショートコント的に「デストトロ」っていうネタをやっていたのを思い出しました(デス声で「デストトロ」って連呼する、というネタ)。

しかし、イギリスのみなさんは、この「デス」が日本語の「〜です」とかかっている、ということを知っていて盛り上がっているのだろうか……ちょっと心配(いや、「death! death!」叫んでいるもので)。

途中のスクリームはエフェクトかかってるのか、録音なのかどっちなんでしょう。

いやしかし、1曲目から惹きつけられました。

2曲目の「Awadama Fever」、3曲目の「Iine!」(「イイネ!」)は、メタルとユーロビートが融合して、パラパラっぽいダンスあり、アイドルらしいメロディと歌詞の曲でした。

うん、頭空っぽで聴ける辺りは素晴らしい。

SU-METALさんが、歌がお上手で驚きました。

4曲目の「YAVA!」(「ヤバ!」……やばいってことかな)は、振り付けが可愛かったですね(キレもありました)。

5曲目の「Akatsuki」は、SU-METALさんのソロ。

ええと……そうか、日本のメタルの系譜を紐解けばそこには「X JAPAN」がいるんですね。

海外ではわかりませんが、日本ではメタルが揶揄の対象になっていた時期がありまして。

どこの誰か知りませんが、「ヘビメタ」なんて略しよったおかげで……日本のハードロック/ヘヴィメタルの歴史を紐解くと、どの辺りからになるのかな……転換点として「聖飢魔II」がいたのは間違いないですね。

ザ・ベストテン』で「蝋人形の館」を歌ってましたからね……今考えてもすごいわ……。

で、「ジャパメタ」という、これも今ひとつの略称で呼ばれていた「ラウドネス」が海外で成功し、「アンセム」はどうだったのかな、一番好きなのは「アースシェイカー」ですけれどね(私、好みとして、日本人は女性ヴォーカル、海外は男性ヴォーカルが好きなんですけれど、日本人でも湿っぽい、色っぽい男性ヴォーカルが好きで、その点MARCYはいいですよねぇ……今でも色っぽい……)。

アースシェイカー」は、なぜかアニメ『超音戦士ボーグマン』の主題歌を歌っていましたね(それもよかった……あの年代は、影山ヒロノブの兄貴もそうですが、あっち側からこっち側に渡ってきた人がわりといらっしゃったのかな……)。

そういえば「アニメタル」がありましたね、日本には。

あれって、結構大きなインパクトを残したと思うのですが……一般のみなさんにはそうじゃないのかな。

で、メタルの系譜はどうなったのか、「X JAPAN」に行く前に「BUCK-TICK」だと思うんですよね……ご当人たちがメタルだと思っていたかどうかは知りませんが……この「BUCK-TICK」→「X JAPAN」ラインの先に、ヴィジュアル系というジャンルがありますよね。

私、多分これって、「ヘヴィメタ」にくっついた「ダサイ」というイメージから逃れようとした結果なのではないか、と思っています。

実際、ヴィジュアル系の人たちには、しっかりメタルの遺伝子が息づいていると思うのです(ハードロックだ、と言いたい人たちも多いでしょうか……ほとんど聴いてませんが……そこまで追いかけられないです……)。

日本には「婆娑羅」とか「傾奇者」とかありましたからね……ヴィジュアル系は文化的にその延長線上で語ってもいいのではないか、と思います。

この「Akatsuki」という曲は、構成から何から、「紅」というか「X JAPAN」のオマージュですよね。

6曲目「GJ!」は、YUIMETALさんとMOAMETALさんの歌……だったよな……3・3・7拍子的な入りだった気がしますが……そういえば、要所要所に和風なリズムとか、和音階、童謡なんかのエッセンスが入っていますね。

和風メタルといったらもう「陰陽座」なんですが……他には思いつかないくらい、あのコンセプトはインパクトがありましたね……和風ロックって何だろう、「四人囃子」とか「人間椅子」とかになるのかな(「人間椅子」は違うか)……「カブキロックス」?

7曲目「Catch me if you can」が、かくれんぼ題材ですかね、ダンスと「ま〜だだよ」っていうのが可愛かった気がします(そろそろうろ覚え)。

8曲目「Doki Doki ☆ Morning」はまたアイドルらしいメロディで。

そもそもアイドルソングとメタルとの相性はどうなのでしょう。

私、年代的に歌謡曲全盛、歌番組全盛の頃を生きてきましたので、アイドルったら「松田聖子」、「小泉今日子」、「中森明菜」な感じなのです。

特に「中森明菜」派だったのですが(いや、タイトルがよかったじゃないですか、「タンゴノワール」とか「ミ・アモーレ」とか)、彼女の曲はメタルとの相性はそんなによくないのかな……ダンサブルだったしな……典型的な「聖子ちゃん」バッキング、四つ打ちのピアノコード鳴らしをメタルに乗せても、面白みはないけれど違和感もないような気がします。

集団アイドルは、そうですね、「おニャン子クラブ」は否定できないくらいのインパクトがありました。

正統派アイドルではない秋元康氏の歌詞とか、今のアイドルソングの原型といってもいいのではないでしょうか(いや、「榊原郁恵」とか「松本伊代」とかの系譜が「おニャン子クラブ」には入っているのでしょうが)。

おニャン子クラブ」の場合は、後藤次利氏のメロディメーカーっぷりもすごかったのかもしれないです。

AKBグループにはほとんど興味はないですし、他のアイドルグループもそれほど知りませんが……。

脱線脱線。

9曲目「Meta Taro」(「メタ太郎」?)は、童謡か、『鉄腕アトム』的な曲。

マーチですね、ということは軍歌っぽくもあるのですが。

なんか、ロック×軍歌っぽい、ってえと、「ライバッハ」しか浮かんでこないな……。

メタルは様式美なところがありますので、伝統的な音楽とも割合相性がいいのかもしれないです。

10曲目「Song 4」……これもYUIMETALさんとMOAMETALさんの曲なのですが、「4」のことを歌っているだけ、という……あ、でも、このDVDで一番癖になるかもしれないです(観客大合唱)。

11曲目「Amore」は、SU-METALさんのソロで、「Akatsuk,i」と同じ方が作ったんでしょうか、似たコンセプトでした。

メロディックスピードメタルを日本的解釈にするとビジュアル系になる、ということなのかな……やっぱり「X JAPAN」へのオマージュが感じられます。

12曲目「Megitsune」は、一層和風な感じで、歌詞も「女の子は女優」的なもので……いや、作っている人たちが私と同じ世代だからなのか、ツボを心得ているといいますか……「なめたらいかんぜよ」って……面白い。

13曲目「KARATE」は、空手の歌です……いや違いますけど、ダンスにも空手の型の動きを取り入れています。

きちんと空手をやっていないってことは、突き、蹴りの形や足の運びでわかるもののようです……ダンスには関係ないですが。

このあたりになってくると、だんだんメタルであることは頭から抜けていっています。

14曲目「Ijime, Dame, Zettai」は、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」ですね。

歌詞の内容はそのものなのですが、こちらの疾走感溢れる感じは、「聖飢魔II」のメロディックさを思い出させますね。

歌い上げる感じとか(いや、ベタなメロディだってことなんですが)。

振り付けは「X」っぽい?

15曲目「Gimme Chocolate!!」……アイドルっぽい曲に戻ってきました。

16曲目「THE ONE-English ver.」は、日本語ヴァーションもあるってことでしょうか。

曲はもう、入りからして「ドリームシアター」級のプログレハード。

うん、こりゃあんまり日本人にはウケないな……逆に海外で評価されるってのがわかる気がします。

曲の部分が、テクニック的なことも含めて、ガチでHR/HMですものね。

ラストは「Road of Resistance」。

由緒正しくメロディックスピードメタルでした。

 

うん、こりゃメタルだわ。

神バンドの人たちのテクニックは本物ですし(6弦ベースて……)、今時のアイドル的な曲展開のものもありますし(ヒャダインさんとかっぽい)、ビジュアル系っぽさもありますし(マキタスポーツさんに解説していただきたいほど、見事なビジュアル系)、いろんな方向に訴えかけるものがあると思います。

ロックやメタルのジャンルというのが、もはやよくわからなくなってきていて、産業ロックからLAメタル、耽美系につながりそうな「ハノイロックス」とか、そこから「マリリン・マンソン」ですか、スラッシュメタルデスメタル、パンクからハードコア、どこかで融合したのかグラインドコア、なぜかメロディックデスメタル、「ウィズイン・テンプテーション」辺りからフィメールヴォーカルも採用し、ミクスチャーでいえば「ストラッピング・ヤング・ラッド」、これが受け入れられたから「スリップノット」もあったんじゃないか、プログレハードからシンフォニック系に展開し、オルタナ、グランジを経由して、なんか「グリーンデイ」みたいなメロディックなハードコアが、テクニカルなものはさらによくわからなくなって「マーズ・ヴォルタ」とか、ヨーロッパではジャーマンメタル、北欧の様式美系からさらにベタなシンフォニックな「ラプソディ」(当時)とか……今どうなってるんですかね、世の中的には……。

こういった世界的なロックの潮流が、日本で大きく展開するのかといえば、やっぱりメタルはどこかアンダーグラウンドなんですよね……前にも書きましたが、私、日本人は女性ヴォーカルが好きなもので、ガースズバンドだと「シンティア」が結構よかったですね、あとは何でも聴きますが……ま、いいんですけれど。

メタルは死んだとか、メタルほど大衆に迎合した音楽はないとか、いろいろな意見があるらしいです。

日本でこうなったのは、ヘヴィメタルが日本のサブカルと相性がいいからではないか、と思うこともあります(歌詞の内容とか)。

その結実としてのBABYMETAL、ちょっとファンになっちゃいました。

地上波にはあんまり出ないでしょうけれど、今は音質のいいブルーレイやDVDがありますからね、音楽番組いらんでしょう、となるのも不思議ではないです。

いつかは生で観たいものですが、どのくらいの人気なのかわからないんですよね……ファンクラブ入ってもチケットとれないんでしょうか。

 

最終的に気になるのは、いつか、

 

キングス・オブ・メタル

キングス・オブ・メタル

 

 

ジョーイ・ディマイオ閣下の「マノウォー」ともコラボするのか……何しろ「偽物のメタルには死を!」の人たちですから、是非とも絡んでほしい。

あと、「キツネ」様に選ばれたSU-METALさんが、若干タヌキ顔なところもポイント高いですよね(?)。

 

公式HPを見てみたのですが、この間まで「メタリカ」のオープニングアクト、今日あたりからは「ガンズアンドローゼス」のサポートアクト、その次は「レッドホットチリペッパーズ」のサポートアクト……そういや俺「レッチリ」をまともに聴いたことがないな……なんか「U2」とか「レッチリ」とか「オアシス」とかスルーしてきたんですよね……「ニルヴァーナ」も「パールジャム」もなぁ……「ストーンテンプルパイロッツ」とか「スマッシングパンプキンズ」辺りは聴いていたような……あ、「アリスインチェインズ」もろくに聴いていないぞ……「レイジアゲインストザマシン」とか……どっちかというとジャーマンメタル寄りだったんですね……それにしてもすごいね……こりゃチケットなんか取れないですな……。

 


BABYMETAL - メギツネ - MEGITSUNE (OFFICIAL)

『韓民族こそ歴史の加害者である』石平

 

韓民族こそ歴史の加害者である

韓民族こそ歴史の加害者である

 

 

最近やかましい半島の国ですが、古代史を探っているとどうしてもいろいろと情報を仕入れなければならないので、古代に限らずいろいろと漁っております。

とはいえ、ネットの世界には長年のコリアウォッチャーのみなさまがいらっしゃるので、私なぞ口を挟む必要もなく、特に現代に関しては様々な情報が手に入れられるのでありがたいです。

あまり偏った立場にあるのは望ましいことではありませんが、隣国は仮想敵国ですので、知っておくに損はないでしょう。

古代史以外では、ずっと私は関心がなく、ソウル五輪も、ヨン様ブームも、なんの興味もなかったわけですが、W杯共同開催辺りで「ん?」と思ったような……(当時も今も、右か左か微妙な立ち位置ですので)。

ここ何年かで、お隣さんとして非常にめんどくさい、ということがわかってきたのでした。

石平先生は、大陸生まれのかたで、今は帰化しているのかな、ときどきテレビでもお見かけします。

大上段に振りかぶった感じのタイトルですが、様々な文献を下地に、丁寧に論を張るというのは非常に学者然としていながら、まあ読みやすいことわかりやすいこと。

ざっと読むと、半島の歴史のことがなんとなくわかってしまうあたり、よく書かれていると思います。

他の知韓本、嫌韓本との違いは、強力な「半島の国家は、国外勢力を自ら内部に呼び込んで、状況を泥沼化させる」という主張でしょう。

これが結構面白い。

古代の三国(新羅百済高句麗)の統一戦争のときから、大陸勢力を引きずりこんでいる(結果、新羅が統一)。

元寇にもそういった臭いがする。

そして、絶賛継戦中(あ、休戦中か)の朝鮮戦争

提示された切り口で状況を見ていくと、「なるほど」と目からウロコが落ちる思いです。

地政学的な宿命として、事大主義や八方美人的外交を行うことで生き延びてきた、その点に関しては私はすごいことだと思っています。

ただ、何が残っているのかがよくわかりませんけれど。

石平先生の切り口に、華夷秩序小中華主義)、易姓革命とかを盛り込んで考察すると、今のかの国のことがもっとわかるのかもしれません。

 

「もちろん、それであきらめるような金春秋ではない。復讐に燃える彼はついに、唐帝国を説得して百済攻撃に誘い出す「論理」を編み出したのである。

前述のように、唐の太宗は当時、何としても高句麗を打ち破りたかったが、なかなか妙案が見つけられずにいた。そこで金春秋は太宗をこう口説くことにした。高句麗が、北からの唐王朝の攻撃に全力を挙げて反撃し対抗できたのは、半島南部の百済と連携して、南からの支援を受けているからだ。ならば、唐王朝はまず、百済を攻撃すればよい。百済を滅ぼすことができれば、後方からの高句麗への支援を断つことができるだけでなく、南と北の両方から高句麗を挟み撃ちすることもできる。そうすれば、高句麗征伐は必ず成功するだろう、と。」(p40)

 

「それ以降、日本からの軍勢は百済復興勢力からの協力をほとんど得ることができなくなり、異国の地で強大な唐王朝新羅連合軍と、ほぼ単独で戦うことになった。その結果がすなわち、「白村江の戦い」における大和朝廷軍の完敗と全滅であるが、日本からの軍を半島に誘い込んだ百済復興勢力が分裂した時点で、この敗北はすでに決まっていたといえる。日本兵の血が白村江を赤く染めていた時、肝心の豊璋王子はどうしていたか。数名の腹心と共に戦場から離脱して、高句麗へと逃げていたのである。」(p64)

 

「しかし忘れてはいけないのは、まさに本章で繰り返し指摘してきたように、唐帝国の侵略軍を半島に誘い込み、その侵略戦争に最初から最後まで協力し続けたのは、同じ半島国家で同じ韓民族新羅に他ならない、ということだ。」(p65)

 

「韓国の現役大統領である朴槿恵氏は、二〇一三年三月に、日本との「歴史問題」について、「被害者と加害者の立場は千年経っても変わらない」という主旨の発言をしたが、ならばわれわれは、彼女に一つの質問をしておかなければならない。「高麗王朝と元帝国の共同作戦である日本侵略・弘安の役から、どれくらいの年数が経ったのか」という問いである。

その時点で、日本侵略から千年どころか、七三二年しか経っていなかった。となると、朴大統領自身の論理に忠実であるなら、日本侵略の加害者としての高麗王朝の立場は、今でも何ら変わっていないことになる。つまり、現在の韓国人全員が歴史を直視して、かつて自分たちの祖先が行った、この立派な戦争犯罪を深く反省し、祖先の卑怯と卑劣を多いに羞じ、謝罪するべきということになる。歴史認識問題を強調すればするほど、ブーメランのように韓国人にもはね返ってしまうのである。」(p120)

 

「日本と清国が戦争した結果、第三国の朝鮮が独立を獲得した。実は、この興味深い出来事の背後には、近代になってから、日本、清国、朝鮮それぞれが歩んだ道の違いに起因する、朝鮮という国の「近代化」の特異な性格が隠されているのである。」(p125)

 

「にもかかわらず、朝鮮王朝の内乱を政変につなげて利用しようとする、かつての最高権力者の指示によって、無残にも殺害されてしまった。この軍乱において殺された日本人は、堀本だけではない。上智大学教授の長田彰文氏が著書『世界史の中の近代日韓関係』(二〇一三年、慶應義塾大学出版会)で記したところによると、殺された日本人は、堀本礼造を含め十三人にも上ったという。まさに「日本人虐殺」ともいうべき事件である。」(p136)

 

「……考えてみれば、世界のクーデター史の中でも、これほど奇妙なものはないだろう。政変を起こす側が外国軍を頼りにしていた一方で、鎮圧する側も終始、外国軍の力を借りているのである。まさしく韓民族ならではのおかしな政変劇であるが、朝鮮人同士の戦いはいつも、こうやって外国勢力を巻き込まずにはいられないのであろう。」(p147)

 

「露館播遷から一年後の一八九七年二月、高宗はようやくロシア公使館から出て、慶運宮という朝鮮王朝の宮殿に移った。むろん公使館を出ても、高宗の政府はロシアの強い影響下にある「属国政権」であることに変わりはない。実際、慶運宮に移った高宗の安全を守っていたのは、依然としてロシア軍であった。

そしてこの年の十月、高宗は自ら皇帝の座について「大韓帝国」の成立を宣言した。有史以来、朝鮮民族国家元首が初めて、かつての宗主国である中華帝国の皇帝と同じ称号を用いることになったのだ。高宗によるこの政治行動の意味は、要するに清国からの自主独立をアピールすることにあるが、実態は、虚勢を張った以外の何ものでもなかった。二年前の下関条約で、清国は朝鮮への宗主権をとっくに失っていたから、今さら清国からの「独立自主」もなかったはずである。」(p164)

 

華夷秩序」の中では、中原の国、大陸の統一国家が序列第1位で、そこから遠くなる程洗練されていない、という認識です。

大陸の統一国家は、何しろ文明4000年以上ですから、こうしたものをうまく使うことに長けています(実をとることも厭わない)。

ところが、「小中華思想」と揶揄される半島の国家は、自分たちが大陸に一番近いものだから序列第2位だと考え、遠くの日本のことを下に見ているのですね。

現代の半島の人も、根っこの部分でそう考えているのだと思います。

遣唐使を廃止して以来、華夷秩序から逃れた日本にとって、理解しがたい発想です。

同時に、日本のあり方も、あちらのみなさんには理解できないでしょう。

易姓革命」というのは、大陸の支配者は天が示す、国が乱れたときには支配者の徳が失われているので、天が「命を革める」ことを誰かに任じているのだ、という詭弁です。

この論理自体は別にいいのです、古代以来多かれ少なかれ、どこの地域でも似たようなことはあったでしょう。

それを未だに引きずっているらしき国もあるんですね。

あ、中華人民共和国じゃないですよ。

ろうそくデモとかで、大統領を引き摺り下ろした国のことです。

日本では、天皇家というのは、かなり古い時代に「祭祀」のための存在となり、精神的な支配力を及ぼしていたのです。

この辺りは、ローマ皇帝神聖ローマ帝国含む)とローマ教皇バチカン)の関係性に似ているのかもしれません。

あちらは、西洋世界というかなり広い範囲でそれが行われたので、結果ぼろぼろになりましたが。

日本は一国の中でやっていたので、「易姓革命」は起こり得ない(超克した)わけです。

政権が変わっても、国としては存続している、という奇妙な国が日本です。

これがですね、恐らく半島の人々には理解できないところではないかと思います。

まあ、あの国も、何か知りませんが、建国100年にも満たないのに、半万年の歴史が云々とか、三国時代から国体が継続されていると思っているようですが、前王朝のことごとくを滅することさえ厭わないのが半島の「易姓革命」です。

ですので、石平先生の指摘(朴槿恵大統領の「千年被害者」発言)を回避する論理は簡単で、「我が国は政権が革っているが、日本は続いている。よって、加害者であり続けられるのは日本だけで、我が国ではあり得ない」とでも抜かすのでしょう、その気になれば。

だから、約束できないんですよね、かの国とは。

 

◯こちら===>>>

「韓日国民の不信感解消がカギ、日本政府は韓国市民団体と対話を」(1) (中央日報日本語版) - Yahoo!ニュース

 

↑何を言っているのかと思ったら、元朝日新聞の例の人でした。

このタイトルがいいですね。

これ、内容はあまり読んでいませんが、要するに「国内の市民団体の暴れっぷりに手を焼いている政府が、日本に対してその市民団体をいさめてくれよと言ってきている」わけです(実際に、かの国の政府与党がそんなことを言っている、というわけではないでしょうが、そうしたらどうだと勧める輩もいる、と)。

 

知るかそんなもの。

 

内政干渉だろう。

 

統治能力ないのか。

 

といった疑問の湧き出る中、石平先生の本著を読んだあとでなら、断言できることがあります。

 

乗せられるな、ろくなことにならない。

 

こうやって、対外勢力を引きずり込もうとするのかぁ……なんか、歴史の目撃者になった気分です。

 

 

 

『邂逅』キャンディス・フォックス

 

邂逅 (シドニー州都警察殺人捜査課) (創元推理文庫)

邂逅 (シドニー州都警察殺人捜査課) (創元推理文庫)

 

 ここ何年か、海外のミステリーがよく邦訳されるようになってきたような気がします。

いや、昔からそうじゃないか、というのはもちろんそうなんですが、コーンウェルとかデイーヴァーとかに隠れて邦訳されていた良著っていうのに、私の目が行き届かなかっただけなのかもしれないです。

ドイツや北欧、オーストラリアと様々なところから入ってくるのですが、当たり前のことながら、警察小説が多いのですね(変態はポール・アルテくらいで……あれそういえば、続きの邦訳がないな……殊能先生……涙)。

で、本著も、オーストラリア発の警察小説シリーズ物ですが、うーんどうだろう、あまりオーストラリア、ということを意識しなくてもいいのかもしれないです。

 

フランク・ベネットは、シドニー州都警察の殺人課に異動してきたばかり(かつての相棒は自殺していた)。

新たな場所で相棒になるエデン・アーチャーという女性刑事は、以前の相棒を殉職で亡くしています。

お互いの喪失感が絆を深めるのか、あるいはエデンが敏腕で長身で鍛え上げられた肉体を持つ美人だからなのか、フランクが近づこうとすると、同じ課にはエリックという、エデンの兄がいることが判明します(もちろん、フランクとエリックは敵対するわけですが)。

二人が組んで最初の事件は、シドニーのマリーナからの通報でした。

麻薬中毒者が、何者かに、足に鎖を結び付けられて海の中に叩き落とされた、と(彼は、何とか自分の足をへし折ることで、助かります)。

その麻薬中毒者は、誰かがマリーナに、スチール製の収納ボックスを運び込んだところを目撃しました。

どうやら、そのボックスを海に投げ入れたらしい。

そのボックスを探し始める前に、麻薬中毒者が言いました。

「海の底にもボックスがあったんだよ。ごろごろと山のようにね」

合計20個のボックスからは、それぞれ詰め込まれた他殺体と思われる遺体が発見されたのです。

 

と、メインのストーリーは、この連続死体遺棄事件の謎を追うことなのですが(あ、本格していないので、サスペンスとして読んでいただいたほうがいいかと)、もう一つ別の物語が挿入されており、そちらではどうやら裏社会で揉め事を解決しているらしい「ハデス」という人物が描かれています。

その「ハデス」のところに、ある犯罪者たちがもみ消しを依頼しにやってきます。

「ハデス」は、自らに何らかの条件を課して、死体の処理をしているのですが、その日やってきた犯罪者たちは彼の条件に当てはまらなかったのでした(ということで、処理される羽目になったわけですが)。

てっきりまた罪なきものの死体だと「ハデス」は思ったのですが、その二つの死体は、子供で、しかも生きていたのです。

裏社会とつながりの深い「ハデス」は、曰くありの子供達を育てなければならなくなったのでした。

 

本格ではないので、他にもいろいろなことが途中でわかってきて、サスペンスを盛り上げます(「ハデス」の育てる子供はどうなったのか、なぜ遺体は遺棄されたのか、フランクのちょっとしたロマンス……とか)。

しかし、何といいますか、警察小説の主人公は酷い目に遭うしかないのかな、というのが、これまで翻訳されている、最近の警察小説を読んでの感想です。

ジャック・カーリーは、それでも結構日本人が好きそうな書かれ方なので、あまり思わなかったのですが……ルメートルのせいかな……。

ああ、でも、マイケル・スレイドがもっとひどいか……あれ警察小説なのかな……。

単発で終わってもいい感じですが、続編もあるようなので、どのように展開させていくのかちょっと楽しみです。

映画にしやすそうですけれど……そういえば、カーリーの『百番目の男』を映画化するとかいう話はどうなったんでしょうね。

日本じゃやらないか……あんなオチ(褒めてます)。

 

……あれ、引用するところにチェックを入れてないな。

下手に引用すると、いろいろネタバレしてしまうので(あ、そっちの意味ではないですよ)、やめておきます。

『神の時空 五色不動の猛火』高田崇史

 

神の時空 ―五色不動の猛火― (講談社ノベルス)
 

 

高田先生の<神の時空>シリーズも、そろそろ終盤戦のようです。

今回は東京、「五色不動」。

ミステリをかじっている人間であれば、「五色不動」と聞くと「ああ、あれね」と思い起こすのではないでしょうか。

 

虚無への供物 (講談社文庫)

虚無への供物 (講談社文庫)

 

 

……あれ、違いましたっけ。

 

匣の中の失楽 (講談社ノベルス)

匣の中の失楽 (講談社ノベルス)

 

 

どっちかでしたよね(近くに現物がないので確認できませんが)。

 

辻曲一家は、未だ次女の摩季の命を救うために奔走中。

最初の事件からどれだけ時間が流れたのか……多分数日……『滅日』か、おい。

 

 

たがみさんは大好きなのです(『お江戸忍法帖』、kindleに入らんかな……)。

 

それはともかく、京都、静岡、名古屋、広島と走り回って、ちょっと東京で一休み中の辻曲家。

そこに、福来陽一(ヌリカベ)が、連続放火殺人事件が起こっている、と告げます。

また、辻曲家の長兄・了が、かつて殺人事件に関わったのではないか、と疑っている刑事が訪れ、長女の彩音が適当にあしらって追い返すのですが、そこでの話から、敵(怨霊を目覚めさせて、日本をえらいことにしよう、という連中)が何を狙っているのかに気づきます。

どうやら、「江戸五色不動」の近くで、放火殺人を起こしているようだ、と。

そこからは、「不動明王」について、江戸でしばしば起こった大火について、吉原の遊女たちについて、それを題材にした浄瑠璃や歌舞伎について、の考察が続き、「五色不動」の真実、に行き当たります。

いやしかし、古代史ファンでしかない私には、「江戸五色不動」のことなんて、とんとわかりませんです……江戸の歴史もうろ覚えだし。

近年は、様々な資料から歴史の解釈が改変されてきています。

見えていたもの、見えていなかったもの、見たくなかったもの。

歴史は後付けの解釈であり、過去改変はタイムマシンによることもなく日々行われているのでした。

さて、このシリーズはどうやってオチをつけることになるのでしょうか。

楽しみ楽しみ。

 

「「ご存知かとも思いますが、浄閑寺は吉原の遊女たちの、いわゆる『投げ込み寺』です。大火で焼死したり、また引き取り手のいなかった何万もの遊女たちの遺体が、埋葬されています。もちろん遊女たちですから、権八・小紫のようにしばしば歌舞伎の題材になりましたし、実際に歌舞伎に登場する人の墓もあります。」」(p39)

 

「「目黒不動尊よりも、地名の方が先じゃないかという説もあるの」」(p73)

 

「「心中した男女の遺体は、葬式を行うことも許されず、もしもどちらかが生き残っていれば、その人間は殺人犯として扱われた。それほどまでに、幕府が硬く禁じておったからじゃ」

「殺人犯! それは酷い」

「そのため、心中が未遂に終わってしまった二人、あるいはその片割れは、遊女や客であろうが一般の商家の男女であろうが、その区別なく後ろ手に縛られて、罪状が墨書きされた立て札と共に、日本橋のたもとに三日間晒された。しかもこの三日間、無抵抗な彼らは、見物人に乱暴され放題だった。日が落ちて夜ともなれば、そこではとても言葉で言い表せないような惨事が繰り広げられたという」」(p201)

 

「は、はい、そうですね。どうして、江戸時代に待乳山聖天が『娘の拝む寺でなし』といわれたのか……」

待乳山聖天の本尊は、歓喜天、男女が抱き合っている像じゃ。しかも、もちろんそれだけのことで娘が拝むなといわれたわけではない。ここの寺紋は二股大根を組み合わせた『違い大根』と『巾着』なのじゃ」

「二股大根と巾着……。それが?」

「鈍いのう」と火地は顔をしかめる。「もちろん一般的には、

『大根は、白く清浄で健康。巾着は、商売繁盛』

『違い大根は夫婦和合・子孫繁栄』

つまり、大根は人間の深い迷いの心、瞋の毒を表すといわれており、大根を供えることによって聖天がこの体の毒を洗い清めてくれる、巾着は財宝で、商売繁盛を表し、聖天の信仰の御利益の大きいことを示すのだと言う。しかし虚心坦懐にそれらを見れば、組み合わさった二股大根は『男女の性交』であり、巾着は『女陰』であることは明らかじゃ」

「えっ」

「しかも吉原の、一カ月に何時間か外に出ることを許されていた花魁は、その際必ずこの寺に参拝したというし、実際に彼女たちが奉納した石碑もある。となれば、この寺の山門をくぐってすぐ左手にある『歓喜地蔵尊』ーーいわゆる子育地蔵尊も、彼女たちと無関係とは思われんな。そもそも『待乳山』という名前が、悲しく哀れではないか」8p234)

 

待乳山聖天」は、

 

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「待乳山聖天」(浅草名所七福神) - べにーのGinger Booker Club

 

↑こんなところでっす。