テレビドラマのおかげで有栖川づいていた名残を引きずって。
短編集です。
「アポロンのナイフ」……テレビドラマでもありましたね(あちらは連続ドラマだったので、少々構成が違っていましたが)。
東京で起こった連続通り魔事件の犯人は、高校生で、ネットにさらされた写真ではかなりの美形ということだった。
そのためか、<アポロン><切り裂き王子>などという名前がつけられていた。
大阪に住む有栖川は、なんとなくついさっき、その人物を見かけたような気がしていた。
担当編集者との酒の席でそんな話をした翌日、大阪の八尾で女子高生が殺害されたとニュースが飛び込んできた。
府警の鮫山警部補から連絡をもらった有栖川はさらに驚くことになる。
なんと、昨晩のうちに、犠牲者がもう一人出たというのだ。
これは、同一犯なのか。
<アポロン>と呼ばれる通り魔の仕業なのか。
ドラマを見たときにも思いましたが、短編の中に詰め込まれたテーマとガジェット、プロットの見事さ、パズラーとしての完成度、非常に高いと思います(決して難しい話、ではないんですが)。
このパーツから、こんなものが出来上がるとは思えなかった、ということと、静謐の中に哀愁の漂う北欧メタルっぽさにおいて、有栖川作品らしい、と思いました。
「凶悪殺人犯の名前や顔が伏せてあっても、特に不都合は感じんけどな。あれは社会的制裁で、懲罰の一環かと思うてたんやけど、違うのか?」
「まったく違う。ーー誰かを逮捕するという行為は非常に重い。強制的に身柄を拘束して取り調べをするんだからな。よく考えてみろよ、アリス。逮捕者の名前も顔も公表しない社会というのは、警察がいつどこの誰をしょっ引いたかが隠匿される社会だ。最も人権が危うくなる事態じゃないか。公権力は監視されなくてはならない。犯罪者の名前や顔を伏せることは、犯罪者自身のみならず、善良な市民にも不利益を発生させる」(P52)
「雛人形を笑え」は、漫才師が登場する珍しいコント……じゃない短編。
「雛人形」という男女の漫才コンビのうち、「メビナ」と称する女性が殺害された。
その格好が不思議だった。
両腕を肘の所から90度に上に曲げ、右足をほぼ真横まで上げた形で倒れている。
当然ながら、相方の「オビナ」が疑われるわけだが、なんと「オビナ」には先代「メビナ」という相方がいたのだった。
この事件で火村先生は、冗談にもならないくらいの方法で真犯人にたどり着きます。
「「これはつまり、先生、探偵らしい推理抜きで犯人を突き止めたんか?」
責めるように言うと、彼は低く言う。
「ハプニングだ。こんなこともある」
心なしか犯罪学者は不本意そうだった。」(P157)
けっこういいセリフです。
「そう、この屋敷はそのために斜めに……」とは別の破壊力があります。
「探偵、青の時代」は、非常に珍しい、火村先生の学生の頃のエピソード。
有栖川は、同窓生の女性に街中で声をかけられる。
そこで、学生時代に起こったある事件について聞かされることになる。
犯罪学を履修している学生ばかり数人で集まっての飲み会。
普段そういった軽佻浮薄(?)な集いに参加することのない火村だが、勉強会だと勘違いをして参加することになったらしい。
火村がまだ座に加わらないうちに、一同はある秘密を共有することになった。
はたして、火村はその秘密に触れ、解き明かすことができるだろうか。
不可能性が高いわけではありませんが、純度は高いパズラーで、なおかつ火村先生の意外な一面が、ある事実を裏付けるという心憎い演出。
丁寧な物語の作り方に脱帽です。
「一種のゲームとして?」
「言われてみればゲームですね。私にはそんな感覚がありました」(P189)
「菩提樹荘の殺人」は、アンチエイジングのカリスマ男性が殺害された事件。
被害者は、池の中に上半身を突っ込んだ形で発見されたのだが、トランクス以外身につけておらず、衣服は全て池に浮いていた。
西洋菩提樹の植えられた屋敷は「菩提樹荘」と(被害者であり所有者に)呼ばれていたそうだ。
50代になっても若々しい被害者には、いくつも女性との話があった。
有栖川風に名付けるなら「菩提樹荘殺人事件」か、と冗談めかして語った刑事の言葉に有栖川ははっとする。
それはかつて彼が実際に書き、そして決して日の目を見ることのない、幻の推理小説のタイトルだったからだ。
という具合に、あまり事件とは関係のないところで、有栖川先生(作中)の過去のエピソードが明かされます。
それがまた、穏やかながら人を打ちのめす破壊力。
よく有栖川先生(作中)は、そのことに気付きながら、暗いものから逃げるためだとしても、小説を書き続けられたものです。
ワトソン役としてはかなり優秀な有栖川先生(作中)なのですが、実は相当に胆力がある、と常々思っています。
火村先生と友人をしている、というだけでなく。
その一端が、ここに明かされたエピソードだとしたのであれば、火村先生とは別の意味で戦っているのだと思います。
「価値観が違うと言っているだけさ。あの売れっ子の先生は、若々しくあることを自己目的化してしまっている。命なんてものは道具なのに」
「おお、ワイルドな表現やないか。いつか小説で使わせてもらうかもしれん」
火村は渋い顔になる。
「下手に引用するより俺の名言集を編んでくれ。ーーとにかく、万年青年になるのはごめんだな」(P261)
有栖川氏の作品は、<江神先輩>シリーズも<火村助教授(准教授)>シリーズも、流麗な文体で構築される美しい世界を、その流麗な文体で暗黒に突き落とすような力があります。
決して派手ではないのですが、例えば連城三紀彦氏のような超絶技巧とまではいかず、かといってそこに込められる小説技法とミステリの流儀は達人級。
何より、奇想の美しさと現実的な解決のバランスが、毎回素敵だと思います。
『幽霊刑事』とか、<探偵ソラ>シリーズとか、はっちゃけたものももちろん面白いのですが。
火村先生と有栖川先生(作中)がやっぱり好きですねぇ……お二人とも、いつの間にかサザ○さん的ワールドにはまり込んだ、永遠の34歳になったようですけれども(怪盗ニックも歳をとらなくなっちゃったよなぁ……シリーズキャラというのはなかなか難しいものです)。