べにーのDoc Hack

読んだら博めたり(読博)何かに毒を吐いたり(毒吐)する独白

『カストロとフランコー冷戦期外交の舞台裏』細田晴子

 

カストロとフランコ: 冷戦期外交の舞台裏 (ちくま新書)

カストロとフランコ: 冷戦期外交の舞台裏 (ちくま新書)

 

 BABYMETALからの振り幅が大きすぎますが、昨年読んだ本でして……。

著者は、元外交官で、在スペイン日本大使館などに勤務した後に、日本大学の准教授になった方です。

正直なところ私、現代史に疎いもので(疎いものばっか)、キューバといったらチェ・ゲバラのイメージ(カストロ氏は、なんか、おじいちゃんって感じ)、フランコに至ってはスペイン内戦のこととかほとんど知らないもので、こんなことでいいのか、という気持ちで手に取った次第。

昨年読んだもので、ほとんど記憶がないんですけれど……とにかく、キューバとスペイン、そしてアメリカに着目しながら、基本的なことを追いかけつつも、一方で非常に細かい描写もあり、面白かったです。

序章では、キューバとアメリカの国交回復から始まり、筆者の経歴から、反共のフランコ独裁と社会主義革命を成し遂げたキューバとの関係について、つまりフランコカストロの関係について触れています。

特に、二人の共通点として、「ふるさととしてのガリシア」「スペイン内戦とゲリラ戦」「反米主義と愛国心」「カトリック」が挙げられており、その視点から二人の独裁者がいかに親近感を抱き、一方で微妙な距離感を生んだか、アメリカも加わった三国の複雑な力学が述べられています。

それから、カストロフランコの生い立ちの対比、スペイン内戦からキューバ革命に至る過程、キューバ革命前夜とスペインの独自外交にバチカンの動き、キューバの独自外交とアメリカの対キューバ・スペイン戦略、60年代〜70年代のフランコの外交の変遷、フランコ死後のスペインと冷戦期後のキューバ・スペインの外交、と章を重ねていきます。

うーん……もう一回読み直さないといけないですね……とにかく近現代史が壊滅的な私の知識ですので、日本からはやや遠い場所での関係性を知ることは大いに刺激になります。

刺激されて、覚えてないんですけどね……。

 

キューバにおけるスペインからの独立戦争に乗じて、米国共和党ウィリアム・マッキンリー大統領(任一八九七〜一九〇一)は、一八九八年、ハバナ湾に停泊中の米国の軍艦メイン号爆破・沈没事件を理由にスペインに対し宣戦布告をし、これを破った。

なおこの米西戦争は、日本に意外な影響を与えることになった。海軍軍人・秋山真之が米国船側から視察していたのだ。スペイン艦隊の停泊するキューバ南東のサンティアゴ・デ・クーバ湾の入り口に、給炭船を沈めることで封鎖する戦いだった。この作戦は成功しなかったが、日露戦争の旅順湾封鎖作戦のアイディアにつながった。さらにサンティアゴ・デ・クーバには、後の一九五三年、カストロが攻撃したモンカダ兵営がある。こちらも成功しなかったが、キューバ革命への導火線となった。」(p25)

 

私は司馬遼太郎ファンではないので一冊も読んだことはないですが、この辺りになんとなしのロマンを感じたりはします。 

 

「「階段にいるガリシア人は、上っているか下っているかわからない」と言われる。働き者だが、はっきりものを言わないから、何を考えているかわからない、ということだそうだ。」(p31)

 

なんだか、日本人っぽいですね。

 

キューバでは、スペインに渡航して戦う若者が増加した。枢軸側に近かったフランコ側で戦う者も、反対にフランコと戦って共和国を支援しようという者もいた。フランコ側についたのは、大部分がスペイン系移民とその子孫であった。彼らは多額の資金とタバコ・ラム酒・靴などといった物資を送付した。一方、共和国側に参戦したのはキューバ人が多数を占め、学生・労働者も多かった。そのため、送ることのできた資金と物資は限られていた。約一〇〇〇人が共和国側に参戦したが、キューバ共産党がこうした国際義勇軍リクルートを請け負った。」(p59)

 

移民が多いと、こういうことが起きる、という可能性は常に考えておかなければならないですね。

日本からアメリカに移民した人たちは、祖国であるアメリカのために太平洋戦争を戦った人も多いです(黄禍論ね……)。

日本人としては、それで正しい、と思います。

でも世界がそうだとは限らないのです。

 

「まずキューバ革命では、明瞭なスローガンを掲げ、民衆の大義にいっそう感情移入するようにした。というのもカストロは、人間の苦しみとは社会的不公平であり、すなわち「おまえは無だ」と言われることだと悟ったのである。常に人間として貶められ、虐げられ、誰でもない存在としてみなされる。そしてキューバでは体臭がそれによって苛立ち、不満を抱えているとカストロは感じたのだ。

カストロは、革命前には教育の場で「米国を敬って感謝しなければいけない」という一種の「宗教」が教えられていたことも指摘している。米国はキューバがスペインから独立した際に支援してくれた友人で、いざというときは助けてくれると言われていたのである。カストロによると、キューバ人は革命前にはこの「宗教」に洗脳されていたため、米国の資本主義による搾取に気づいていなかったのである。」(p80)

 

まあ、教育の第一段階は洗脳ですから。

この辺り、日本とアメリカとの関係は微妙ですよね。

信頼せざるを得ない、けれども心底信頼しているわけでもない。

ときどき出てきますからね、アメリカ……切り札が。 

 

カストロによれば、カトリック教徒を排除するのではなく、潜在的反革命家を排除したのであって、反宗教が狙いではなかったという。一連の「教会と革命政府の衝突」は、カトリック信仰と対立したわけではなく、問題はカトリック教会の組織にあったというのである。ホセ・マルティの言うように「人を怨むのではなく、システムを憎む」という理論であろう。亡命してカストロを糾弾した妹ファーナによると、カストロ政権は財産を没収し宗教教育を行う学校を閉鎖し、多くの宗教者を追放したが、宗教集団を根絶しなかったのは、対外的なプロパガンダという観点からはマイナスであるという理由だったそうだ。」(p121)

 

革命勢力の標的はいわゆる「抵抗勢力」、アンシャン・レジームですから、その象徴たるカトリックはまぁ目の敵にされますねえ。

しょうがない部分もあります。

 

「大統領になる直前にケネディは、映画007シリーズの原作者として知られるスパイ上がりのイギリスの作家、イアン・フレミングに、「ジェームズ・ボンドならばカストロをどのように暗殺するか」と聞いたことがあった。フレミングは冗談で三つほど提案したが、CIAはこれをまともに受けた。しかしこれらのいずれの策も成功しなかった。」(p134)

 

これが本当だとしたら薄ら寒い話です。

でも、何となくCIAならやりそうな気もします。

 

「革命前のキューバでは国民の半数以上が「カトリック」とは言われていたが、これまで見てきたようにカトリックは主に上層部中心に広まっており、体臭はサンテリーア(※ブログ筆者注:西アフリカのヨルバ人が持ち込んだ宗教。カトリックと混淆し、様々な文化に影響を与えた)を信じていた。人種差別が根強かっただめ、カストロは人種差別もなくした平等社会を築こうとした。革命後、サンテリーアの儀式の中の舞踊・音楽も、国立の舞踊団によって演じられるようにした。そして米国文化に対抗するフォークロア、民族文化として、キューバの国内宣伝、またアフリカ諸国への対外政策の一手段として使用された。」(p150)

 

あらゆるものを外交に利用する、というのは定石です。

 

フランコホー・チ・ミンカストロとフラガ、バレイロス、何かに情熱をかける人々は、思想も超えて同じような人々をひきつける。ケネディの言葉ではないが、その国のために何かできる人物であることを重視する人々は、互いに惹きあうのだろう。」(p177)

 

「敵ながらあっぱれ」的な話でしょうかね……。

 

「指導者には、面子と名誉もある。外交交渉でも、長期にわたる良好な関係を築きたいならば、一方が大勝して禍根を残したり、一度だけの交渉の勝利をもって終わりにしたりしてはならない。フランコカストロも、たとえば政治犯釈放の交渉を行うにもさまざまなテーマの包括的交渉を行い、一方的にどちらかがひとり勝ちする交渉をつくらなかった。本音と建前を使い分け、お互いの面子を立てながらの交渉であった。そのため対国内プロパガンダと、対国外パブリック・ディプロマシー、そして相手国の交渉相手によって態度をうまく使い分けていた。時として国民には真実を知らせずにだが……。

米国・スペイン・キューバの関係を見てくると、民主主義と世論についても考えさせられる。多くの国民にとっては、目先の生活が重要である。意見の言える民主主義も大切であるが、それには大義のある長期的視野を持った政治家を生み育て、盛り立てていかなければならない。単に反対ばかりを声高に叫ぶのであってはならないはずだ。」(p228)

 

こりゃあれですね、安保法案改正の頃の日本を皮肉っていますね。

あるいはその前の、政権交代前後の話なのかも。

結局は、我々が政治家を育てている、ということを忘れないようにしたいものです。

××(注:罵倒する言葉)の民主党に政権取らせたのだって、我々なんです。

ツケは今も払ってますから、まぁしょうがないんですが。

民主主義って、簡単じゃないんですよ……。

 

 

と、ちらちらと読み返して、アンクル・サムが半島に向かって何かやらかしそうな雰囲気がある昨今をちょっと思ったりしています。

本気でやるとは思いませんが、やるときはやるのもまた確かなので。

核のボタンが軽くなってないといいんですが。