- 作者: ウィリアム・パウンドストーン,松浦俊輔
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2004/09/30
- メディア: 単行本
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論理学というのは、私には未知すぎて近寄りがたいのですが、パラドックスという言葉には誘引する響きがあります。
というわけで買ってみたのはいいのですが、内容があまりにあれで、あれすぎて、どうしたらいいものやら……いえ、頑張って読みましたよ。
本書ではたくさんのパラドックスが紹介されており、中には「何のことやら」なものもあります。
冒頭ではいわゆる「胡蝶の夢」、自分が生きている世界が夢ではない、と証明できるかどうかが語られます。
続いて、「帰納と演繹」、三段論法、充足可能性、確証、カテゴリー、オッカムの剃刀、複雑性、論理パズル、予期せぬ処刑、認知バイアス、ゼノンの逆説、NP完全、アルゴリズム、巡回セールスマン問題、ヴォイニッチ手稿、暗号、チューリング・テスト、全知の逆説……書いているだけでワクワクするような単語から、「?」なものまで並んでいます。
とにかく、パラドックスーー「逆説」について書かれているのですから、頭がごちゃごちゃにならないほうがおかしい。
読み応えはたっぷり、しかし理解できるかどうかは心もとなく、ましてや内容を記憶できているのかなんて定かですらない(読了して1ヶ月も経っていませんが、もう覚えていませんもの)。
それでも、ミステリ読みたるもの、一度はこういった世界に、直に触れてみるのもいいのではないかと思ったのです。
「黒いレイヴンを目撃すれば、すべてのレイヴンは黒いという仮説に有利な証拠となるが、この仮説が正しいことの「証明」にはならない。一つ一つの観察では証明できない。他の色のレイヴンがいないのに黒いレイヴンが目に入るというのは、すべてのレイヴンが黒いことの信用を高めるのである(それで十分に合理的だ)。」(p48)
「言葉の使い方として言えば、「すべてのレイヴンは黒い」とは黒いレイヴンのことを言っているように見える。しかし妖精に伝えるために操作的な定義に置き換える場合には、それが言っていることは「黒くないレイヴンはいない」ということだ。
さて、妖精に対偶命題「すべての黒くないものはレイヴンでないものである」の真偽を確かめさせよう。これもまたつかみどころのない一般論で、妖精には理解できない。そこでこんなふうに説明する。「『すべての黒くないものはレイヴンではないものである』が間違っているとしたら、黒くないレイヴンが一羽でもいる場合だけである。これが正しいとしたら、黒くないレイヴンがどこにも存在しない場合だけだ」
これはまさに元の陳述の場合と同じ説明である。「すべてのレイヴンは黒い」を証明あるいは否定するためにしなければならないことは、「すべての黒くないものはレイヴンでないものである」を証明あるいは否定するためにしなければならないことと同一である。これは二つの陳述が同値であると断じるための強力な根拠である。」(p58)
「哲学者は無限回の行動が必要な手順を表す言葉を持っている。「超作業(スーパータスク)」である。何かを確かなことだと言うために無限回の行動が必要なら、それは知りようがないということだと考える哲学者もいる。」(p60)
「オッカムは自分では言わなかったかもしれないことで有名になった。Entia non sunt multiplicanada sine necessitateーーつまり「必要以上に事物を増やしてはならない」である。」(p87)
「この思考実験の本当の要点はこうだ。変化を検出することができないのであれば、変化はあるのだろうか。」(p97)
「ゼノンは言う。粟粒ひとつを落としても音をたてない。それなのに、升いっぱいの粟粒を落とせば音がするのはどういうわけか。」(p143)
「研究者が心理学の実験で一定の結果を予想している場合、この研究者は予想した結果を得る可能性が高い。研究は当人の持論を支持する傾向があるーーつまり、どこかがおかしいということだ。」(p191)
「NP完全は、何十年もの間、コンピュータのプログラマにつきまとってきた一群の問題である。コンピュータはその後高速になり、処理能力も高まってきた。(略)ある人はこう豪語した。「自動車の技術がコンピュータ技術と同じ速さで進んでいたら、ロールス・ロイスは超音速で走り、しかも一ドルにもならなかっただろう。」それでも1960年代の半ば、コンピュータ学者はうまく行かないことがあると気づくようになった。ごくあたりまえの問題なのに、コンピュータで(あるいは何かの既知の方法で)解くことがなかなかできないのだ。より高速なプロセッサを投入し、メモリを増やしても、思ったほどの違いは出ない。こうした問題は「現実に解けない(イントラクタブル)」とか「本来的に難しい」と呼ばれるようになった。」(p241)
「さて、全知の相手とチキン・ゲームをするとしてみよう。相手には、決して外さないESPの力がある。こちらの手を完璧に予想する(自分は普通の人間だ)。「おいおい、チキン・ゲームの基本は、相手がすることを予想するところなのに。これは困った」と思うのではないか。
自分の置かれた状況をよくよく考えてみると、自分の方が有利で絶対に負けないことに気づく。全知の相手に対して避けるのは愚かだということだ。相手は自分が避けることを予知し、自分は避けないでいればいいー結果はこちらの負けである。
避けないのがいちばんいい。それを予想すれば、なんでも知っている相手には二つの選択肢しかない。避けて死なずにすむ(屈辱はあっても)か、避けないで死ぬかだ。相手も合理的で、死にたくなければ、避けるしかない。したがって、全知のプレイヤーは不利になる。」(p351)
「これをボルヘス・カサーレスの縮尺二分の一の地図と比べてみよう。地図はそれが表す国の半分の幅に広がっている。アメリカの二分の一の地図は、サンフランシスコからカンサス・シティまで広がり、ロッキー山地地方にある諸州を覆うことになる。それほど大きい地図となると、国の地図ならどれにも載るほど重要な人工物ということになる。つまり、縮尺二分の一の地図には、当の地図が記載されていなければならない。そして地図についての地図にはそれ自身の地図がなければならず、以下同様、無限に続く。」(p377)