べにーのDoc Hack

読んだら博めたり(読博)何かに毒を吐いたり(毒吐)する独白

『恋と禁忌の述語論理(プレディケット)』井上真偽

 

恋と禁忌の述語論理 (講談社ノベルス)

恋と禁忌の述語論理 (講談社ノベルス)

 

 

『その可能性はすでに考えた』を読んで、なかなかな感じだったので、メフィスト賞受賞作である本作を読んでみました。

語り手が違うせいか(本作は男子大学生の一人称が主体)、文章のみずみずしさがまず印象的でした(確かな筆致の力をお持ちのようです)。

ストーリーとしては、年の離れた母方の叔母のところに、大学生の詠彦が事件を持ち込む、という連作短編。

ただし、持ってくる事件は、「すでに解決されている」、しかも「名探偵によって」。

 

友人の知り合いの家で起こった、ある食材をめぐる事件(年上の花屋探偵登場)。

イタリアンレストランのトイレで死んでいたレストランの店員をめぐる事件(年上の経営コンサルタント探偵登場)。

洋館で起こった双子による殺人+雪の上の足跡つき(本職の探偵登場)。

 

数理論理学の天才である、年上の叔母にこれらの事件を持ち込むと、当然ながら叔母は数理論理学を駆使して事件を解いてしまうわけですが……難解。

いえ、ほぼ直前に『パラドックス大全』なんて本を読んでいたせいで、脳みそがちょっとばかり論理学よりになってはいたのですが、それにしても難解。

数理論理学がなんなのか……微分積分と代数幾何で数学を断念した人間にはよくわかりませんです。

ただ、話の内容は面白いです(理系の雑学本みたいな捉え方で申し訳ないですが)。

事件もそれぞれ、「一旦は、穴がなさそうな解決」というのが名探偵によってなされているので、それをわざわざやり直す、という本格ミステリのコードを破っているあたりに面白さがありますし(キャラクタだけの側面だとしたら、むしろそれこそが本格ミステリではあるのですが)、地味に思える事件の練られ方もまた、これだけミステリが出ている中でよくも思いつく、と感心することしきり。

頭いい人が書いてるんだろうなぁ。

大オチに関しても、「どちらかしかない」と思っていたオチとは別のオチだったので、わりと新鮮に驚きました(いや、普通に読んだらそうなるんでしょうけれど、ひねくれているもので)。

巻末には、作中に出てくる論理記号だの自然園駅NKだのシークエント計算だののわかりやすい解説(それでわかるくらいなら……)もあり、お得感も満載です。

というように、理系の人たちに本気を出されると、文系でしかない人間には太刀打ちできなくなる、という見本のような作品でした。

いえ、悲観的になっているわけではなくて、戒めといいますか。

「何を学ぶか」において、その学問の歴史を学ばない、ということは通常ありえないわけです。

論文を書く以上、標準より上の文章能力を有していると考えるのが妥当です。

このあたり、文系理系はまったく関係ないです。

で、文系理系のどちらが、ミステリの「物書き」として優れているのかなんて話はしたくはないですが。

おそらく理系だと思います。

これは偏見ですが、文系はプロットを立てる能力を磨く機会が少なすぎるのではないかと。

プロットは「構成」です。

物語をどうはじめて、どう終わらせるのか。

つまり、ミステリには重要な論理性(いわゆる論理的である必要はなく、ミステリの中での論理性でいいのですが)を身につけるのには、理系のほうがうってつけだと思うのです。

もちろん、文系の人で文学をものして優れる人もたくさんいらっしゃるでしょうが、あくまで偏見と思い込みですので。

 

 

「「森帖さん、ある殺人事件があって、犯人に殺意があったかどうかを判断する、最も一般的な基準とは、何だと思いますか?」」(p88)

 

 

「「この『含意』は他の論理記号と比べ、いろいろ困った問題を孕んでいるの。たとえば偽の命題が前提だと必ず真となってしまう『必然性のパラドックス』とか、時間関係が絡むと有り得ない対偶が出てきてしまう『因果関係のパラドックス』とかーー総じて『実質含意のパラドックス』なんて呼ばれているけど、ここで問題となるのは『カラスのパラドックス』ーーいわゆる『ヘンペルのカラス』よ」(p149)

 

 

「「バナッハ=タルスキの定理」」(p241)