(※20190909 タイトル誤字修正)
最近古代史関係の本を読めていないなぁ……さくら色なもので……ちびちびと読書はしているのですが、まだ2017年に読んだ本の覚書を書いています(読書量は極端に減っていますよもちろん……前は、質はともかく、週に1冊ペースでは読んでいたのになぁ……)。
著者の本は、2冊くらい読んでいるのかな……それすらもおぼつかない……。
いわゆる「三種の神器」の考察は、いろいろな方がしており、実際に真実にたどり着くのは難しいのが古代史ですので、それぞれ妄想していればいいのですが、例えば「鏡」「玉」「剣」に格はあるのか……キリスト教の三位一体のような宗教的詭弁はそこにはあるのか、ないのか。
「鏡」は、有名な話ですが、天皇家(崇神天皇)に祟ったので宮中から持ち出され、「倭姫命」が転々とした結果、伊勢の地にたどり着き、今の「伊勢神宮」の期限となりました。
これも有名な話ですが、明治になるまで、「伊勢神宮」を公式に参拝した天皇の記録は残っていません。
さて、ここから妄想が始まるのですが……長くなるのでやめておきましょう……ちょっとだけ、個人的には、「鏡」(=「天照大神」あるいはそう呼ばれている神)の祟りの力は凄まじい、という認識があるので、伊勢に厳重に封印されたと思っておりまして、式年遷宮は汚染された封印を作り変えるための儀式だと考えています。
古代の人の認識として、「祟り」は「触れる」と「感染する」、と思っていたのではないか、と。
神器に関しては、物部系に伝わっている「十種神宝」もあり、その考察もあります。
「ニギハヤヒ」は古代史では大人気なんですよね……困ったことに『日本書紀』にも記述があるので、無視できない、といいますか……籠神社も日前国懸神宮も行きたいなぁと思っていてなかなか行けません……。
「剣」はご存知「草薙剣」、「ヤマタノオロチ」の胎内(死骸)から生じたもので、「ヤマタノオロチ」が現れると雲が湧く、ということからそれに近い能力が付与された「アマノムラクモノツルギ」というのが元の名前でした(このエピソード自体は、劉邦の伝説から引っ張ったのではないか、という主張もあるようです)。
で、まあ、誤解をしている人が多いのかどうかわかりませんが、「草薙剣」は斬蛇の剣、ではないのです。
「素盞嗚尊」の佩剣は「十握剣」、対して「天叢雲剣」は斬蛇剣である「十握剣」を欠けさせたほどの切れ味、「オロチ」さんが最初からこれを使っていたら多分勝ってたんじゃないかなって思ったりもします(なんで飲み込んでいたんだか……もちろん神話ですので、何かしらの寓意ではあるでしょうが)。
「素盞嗚尊」対「八岐大蛇」なんて、高天原からしたら迷惑極まりない怪獣大戦争みたいなものですから、勝手にやっとけや、ってなもんだったんでしょうが、その戦利品が上納されたので「三種の神器」に加えられて……で、祟るんですね。
祟ってばっかりだな、神器。
で、本書で指摘されているので一番面白いのが、「天叢雲剣節≠草薙剣」。
これは他の方も主張されていたりすると思いますが、非常に簡単な論理で証明されているのですよね(とりあえず、文献の記述をどこまで信じるか、によるのが古代史の辛いところですが……現存の「草薙剣」を調べられればね……)。
先ほども書きましたが、斬蛇劍である「十握剣」が欠けたのですから、「天叢雲剣」はそれより硬い(鋭い)、「十握剣」が銅剣であれば、「天叢雲剣」は鉄剣だった、と推測されます。
ところで、「熱田神宮」の「草薙剣」、盗まれたりしているのですが、どうも銅剣らしい。
あれ、「日本武尊」が「倭姫命」から授かった「天叢雲剣」、旅の途中で草を薙いで「日本武尊」が無事だったから「草薙剣」になった、ということは鉄剣なんじゃないでしょうか……見た人が、銅剣と鉄剣の区別がつかなかった、としたらもう何もいうことはありませんが……。
まあ、そもそもですね、「倭姫命」が、「ヤマタノオロチ」の体内から出現した祟りの塊みたいな剣を甥っ子に貸し与えること自体がどうなのか、って話なんですよね……「祟られていらっしゃいな」とか、「私も苦労したんだから、あんたも苦労してきなさい」みたいな……試練みたいなものだったんですかね……あるいは、「祟られてほしかった」か……。
「玉」は勾玉、胎児の形という説はよく知られていると思います(そうか?)。
ま、それはともかく、何らかの玉(宝石)が辟邪のものとして使われていたのは洋の東西を問わず、日本列島でもそのようで、記紀神話でもまつろわぬ地方の首長が似た様な感じで玉をつなげたもので体を飾る戦闘スタイルで出てきます(でも女性が多いんですな……巫女の原型かな)。
というわけで、「鏡」も「剣」も「玉」も、あちこちで神器として使われており、その中で天皇家がそう求め、しかも他の豪族も納得したので、レガリアとしての機能が「三種の神器」に付与されたのです。
「八尺瓊勾玉」が祟ったかどうか、については、「崇神天皇」の頃に、「大国玉神」が「天照大神」と同じように祟ったので宮中から追い出されていますので、これがそうだと考えることが可能です。
祟ってばっかです。
そして、「それが重要」だった、少なくとも古代では。
「祟りもしない神器」など、意味がなかった、それを屈服させることでこそ得られる権威があったのだと思われます。
が、時代が下るとそうでなくなっちゃったかなぁ……。
なお、かつて価値のあった(はず)の神器としての「銅鐸」にも触れられております。
日本神話で不思議なのは、マジックアイテムとして、あまり「楽器」が出てこないことなのです。
他の神話では、結構出てくるんですけどね……なんでかなぁ、と思うのですが。
「銅鐸」は、その「楽器の神器」だった可能性が強く、個人的にその謎には惹かれます。
全然勉強していないですけれど。
「銅剣」と一緒に埋葬されたのかなぁ……やっぱり。
わかりやすくまとめられ、考察も独自の視点があり、賛同しかねる部分もありますが、それはこちらが浅学なだけだと思いますので、読んでいただけると面白いかと。