古代史を趣味にしていると、どうしても半島のことは気になります。
かつて半島は、大日本帝國に併合された(植民地にされた、と言うひともいらっしゃいます)のですが、その際に、現地の調査をしていまして、朝鮮総督府が在地の信仰を採録したりしています(高いんですよね、その本)。
ところで、半島は、李氏朝鮮の時代には儒学隆盛で、仏教がそうとうな勢いで弾圧されたことが知られています。
となると、民間信仰なんて……と思われがちですが、どちらかというとそういったもののほうが残りやすいのではないかと思います(生活に入り込んでいますから)。
で、とりあえず最初に、
↑を読みました(内容は忘れましたが)。
ぴんとくるようなこないような……で、そこの中で名前の出てきた人の、
↑を読んだらもっとぴんとこなかった、と。
この手の本に決まって出てくる、「奈良は、朝鮮語のナラ(国の意味)が語源である」という話があるのですが、これがまた言語学的にさんざんな叩かれ方をしておりまして(検索してみましょう)。
「ナラ」は現代朝鮮語では「国」を意味するようですが、では古代朝鮮語ではどうだったのか。
古代朝鮮語とはいっても、三韓時代、新羅、百済、高句麗では言葉が違っていた可能性すらありますが、ではどこの言葉だったのか。
それに、「ナラ」の指す国って、どのくらいの規模のものなんでしょう。
日本で「国」と書かれれば、「大和国」とか「河内国」とか、そういうレベルなのですが(いわゆる「魏志倭人伝」に出てくる「国」も、近いものがあるでしょうから、大陸の影響を受けた認識なのだと思います)、じゃあ「ナラ」の指す「国」というのは、どのくらいなのでしょう。
その割に、日本で呼んだ範囲が「奈良」だと、小さすぎませんか?
せいぜい平城京くらい?
まさか、今の「奈良県」全体が、昔から「奈良」と呼ばれていたとはお考えではないでしょう。
いいんですかね、それで。
『日本書紀』なんて、所詮日本側に都合のいいことしか書いてありませんし、そもそも神話と歴史が混ざっていますから信用に足らない、という意見があるのは承知で、一つ半島系の勢力の活躍をなんらかの陰謀で封じ込めた、ということにしましょう。
渡来人、とかいう怪しげな日本語についても目を瞑りましょう。
それだけ影響力があった半島系なのに、日本語は日本語のままですし(古代朝鮮語と似通っているという人がいるらしいですが、そんなもの証明できません)、「国」は「クニ」のままなんですよね。
そのあたり、どうお考えなのでしょう。
まぁ、それでも「ナラ」が語源なのだ、という主張がありえないわけではないですから、いいとしておきまして。
例えば、現代日本でも、どこかのアホな自治体がですね、空港ができるのをいいことに市町村合併して「南セン○レア市」って名前にしようぜ〜、という機運が一瞬盛り上がりかけたことがあるのですが、そういうパターンがなきしにしもあらず、ですよね。
古代朝鮮から渡ってきた人がつけたわけではなく、単に「なんか流行っているらしいから、ナラでよくね?」的なノリだったとして、それを肯定することも否定することも難しい、と。
いえ、それでも半島の人たちとの交流が多かったことは否定できませんし、影響もあったことでしょう(半島の史料、例えば「広開土王碑」なんかにも出てきますよ、倭人)。
でも、今となっては解明できませんからね……うかつにも「奈良の語源は、朝鮮語の「ナラ」だ」なんて教科書に書いたりしないほうがいいと思います。
それはいいとして、
↑こんな本も読むと、半島併合以降の様々なことが、日本と半島の共犯関係で成立してきたことが伺えて、勉強になりました。
で、『韓国人による震韓論』ですが、著者のシンシアリー氏は韓国で暮らす歯医者さんなのだそうです。
すでに『韓国人による恥韓論』『ー沈韓論』『韓国人が暴く黒韓史』と、三冊の本を上梓されており、本作で四冊目。
韓国のことに詳しくないあなたでも、解りやすい筆致と豊富な国内情報で、みるみるうちに今まで見えてこなかった隣国の一面が見えてくることでしょう。
長年のコリアウォッチャーという人たちがネットの世界にはいらっしゃって、そういったブログを読むことも面白いです(が、結構一方的な内容なので、あまり愉快に思わない方もいらっしゃるでしょう)。
シンシアリー氏の本は、タイムリーな話題にも触れていることから、情報の鮮度がいいですので、今読むのにオススメと言えるかもしれません。
何しろ韓国は、親日派を国ぐるみで追い込んで土下座させるようなことがまかり通っていますから、シンシアリー氏は結構な身の危険を冒していらっしゃるわけです(もともと歯医者さんで、セレブに近いんでしょうから、そこまでする必要があるのか……と思うと、やはり真剣なのだろうなと思えます)。
そんな興味もあって、四冊とも読んでいます。
本作では、簡単にいえば、「日本は、韓国を気にすることなく普通の国になってください」という内容です。
普通の国、というのは「戦争できる国」になる、という意味です。
もうちょっと正確にいえば、「自分で自分を守る国」になる、でしょうか。
その点で、これがひょっとしたら日本国内の右翼勢力が書いているのではないか、という陰謀論が浮かんでくるわけですが(そこまで迂遠な方法を取れる右翼がいたら、むしろ拍手したいです)。
安倍晋三内閣総理大臣が訪米して議会で演説したことや、戦後70年で出された「安倍談話」などが、どうも隣国をいたく刺激しているようで。
10年ごとに総理大臣が談話を出す、というこのシステムも私にはよくわかりませんけれど。
どうも日本国内で、明らかに「隣国」であるはずの韓国の姿が、長い間見えていなかったようです。
で、今も多くの人には見えていません。
歴史上、国境を接する隣国というのは、常に「仮想敵国」です。
その前提で、どのように付き合っていくのか、を考えないといけないと思います。
そこから先が「外交」の出番で、魑魅魍魎が跳梁跋扈する悪鬼羅刹の地獄絵図を手練手管で乗り越えていってもらわなければならないのです(が、日本は昔から外交下手といわれておりまして……古代はそうでもなかったんですけれど、白村江で大敗してからでしょうかねぇ……)。
でまあ、「仮想敵国」としての韓国を捉えようと思うと、シンシアリー氏の本はわかりやすくて入門編にぴったりだと思います。
他の韓国に関する本は、妙に熱量が高かったりきつかったりするのですが、熱量は抑えながらも密度が濃いシンシアリー氏の著作はバランスがいいです。
隣国とは、仲良く過ごせるのが一番だと思いますが。
そんなものは理想でしかありません。
ですので、できるだけ相手の情報を仕入れて、「ぎりぎりの妥協点で、戦争にならないよう」過ごせるようにする、くらいで120点でしょう。
「戦争ができるかできないか」と「戦争をするかしないか」は別の話です。
韓国にしてみれば、日本は「軍隊を持ったらすぐに戦争を仕掛けてくる鬼畜」と思っているかもしれませんけれど、それはあちらの見方で、こちらはこちらで考えればいいだけです。
そもそも、日本は韓国と戦争したことはありませんし、大日本帝國も韓国と戦争したことはありません。
大戦後はただの隣国ですから、「普通の隣国」として接すればいいのだと思います。
ところで、私は韓流ブームの頃も今も韓流ドラマなどというものは見たことがありませんし、K-POPとやらが本当に日本で流行っていたのかどうかも知りません(映画は面白いらしいですね)。
漫画とかアニメがどうなのかわかりませんが、キム・ヒョンテって韓国の人ですよね、画集持ってます(余談ですが、韓国でオンラインゲームが発達したのは、コピー品が即座に出回ってゲームが全く売れないからだ、という説が有力です)。
本好きとして思うのは、韓国に本格ミステリってあるんでしょうか?
あったらちょっと読んでみたいですね。