「弾左衛門」、というのが何なのか、よく知らなかったので、入門編にと思って読みました。
簡単に書くと、
「「弾左衛門」というのは職掌をあらわす名称で、武家身分の最下層にされていたが、ケガレ意識が強まった時代に武士階級から切り離され、「賎民」の地位に置かれた。」(p10)
ということのようです。
「弾左衛門」は、江戸時代の警察機構の下部組織のような役回りを持っていました。
同じ「賎民」身分である「非人」と呼ばれる人たちや、江戸域内に流れ込んでくる「無宿」人など、武士でも町民でもない人たちを取り締まるために駆り出されることが多かったようです(「穢多」や「非人」と呼ばれる人たちは、通常町人や農民の携わらない仕事ーー「ケガレ」に近い仕事を行っていたと思われます)。
「非人」には「非人頭」と呼ばれる統率者がおり、一方で「弾左衛門」は統治システムの一つとして「役所」がありました。
いずれも「賎民」でありながら、支配・被支配の関係であり、ときには対立する関係です。
根底にあるのは、固定化された身分制度(と表面的には思われるもの)と、「ケガレ」を見えないものとして扱いたい人間の本性、でしょうか。
目には目を、歯には歯を。
「ケガレ」には「ケガレ」を。
本書では、幕末から明治の混乱期に、「賎民」身分の人たちがどのように生きたのか、一人の「弾左衛門」と身分を取り巻くダイナミズムを明らかにすることで描いています。
我々には実感できませんが、現代まで続く部落差別につながる問題です。
「四民平等」という言葉が、明治になると称えられますが、「四民」というのは「士農工商」だったと記憶しています。
「賎民」身分の人たちは、「民」ではなかった、ということなのでしょうか。
平安時代には、「人」といえば貴族(殿上人)のことを指し、それ以外のものは「人」ではなかった、と言う人もいます。
そういう「人」ではなかった、「民」ではなかった人たちは、「人」には見えなかった。
より正確には、「人」として見たくなかった、でしょうか。
それには、我々日本人の美意識の中に存在するらしい「清浄さ」も関係してくるのだと思います。
現代でいえば、「抗菌」信仰に近いものかと。
「清いこと」を尊いと考えるあまり、「ケガレ」から遠ざかろうとする。
ほんの160年ほど前のことです。
「いずれにしろ、どこもいっぱいなので、新たに「救育所」というのを作って、そこに入れた。明治二年五月に三田にひとつ、九月になって麹町と高輪にである。この「救育所」にも差別的身分制はあり、高輪救育所は被差別民のための収容所であった。高輪だけですぐに九百人になったと記録にある。
これら浮浪の野非人や行き倒れの病者を、東京府内から集めてくるのは弾内記(※ブログ筆者注:最後の「浅草弾左衛門」が名乗った名前)や抱え非人の仕事であった。高輪では病者の世話をするほか、仕事を教える「授産」も行なわれた。病者の世話をしているうちに感染して死んだ新町の者もいた。それにしても、この時代、荒れはてた東京で、猫や犬の死骸を片づけたり、浮浪者を助けたりと、穢多非人たちは誠実に努力をした。だが、一段落がつくと、そのようなことはすぐに忘れられ、清めた人たちのほうをうとましく見たりするのである。清め(浄め)が汚れ(穢れ)に反転してくるのである。清めが汚れに反転するーーこのパラドックスこそが、前近代の医者や僧侶への見方もふくめて、日本の差別意識の最深部にある。」(p113)
筆者は↑のように、「清めが汚れに反転するーーこのパラドックス」と、日本の差別意識を喝破していますが、何も日本に限ったことではないと思います。
ただ、日本人はこれが「得意」だということは言えるでしょう。
属性を反転させるーー祟り神を、「祟りから守る神」に変えてしまうーーという知恵が、日本人を日本人たらしめている一部分だとしたら、筆者の言葉を受け入れなければいけないのだと思います。
それが日本人だ、と。
清浄さは、本来「神仏」の領域であり、だからこそ手水場で「禊」をするのです。
つまり、我々は誰しも「穢れ」とともに生きているのです。
我々が差別をするのは、その「穢れ」の程度の差であって、それも人間の文明が恣意的に作り出してきたものであったり、医療の知識の足りない時代の産物だったりします(黒不浄ーー死穢というのは、根源的な恐怖であるとともに、経験的な「伝染」への警戒でもあったでしょう。それを現代的観点で責めることは難しいです)。
「神」と「仏」の出会いは、幸福だった一面と、そうではない面があるでしょう。
日本古来の神は、「清浄」なだけではありません、「穢れ」の中にもちゃんといらっしゃいました(でなければ、禊から神が生まれることはないでしょう)。
仏教は、日本の古来の神よりも文明の度合いが進んでいますから、「清め」と「穢れ」により敏感です。
それを取り込んで、必要以上に「穢れ」を意識し始めたのがいけなかったのかもしれません。
もちろんほかにも、陰陽道的な「穢れ」を避ける技術も影響しているでしょう。
「厭離穢土、欣求浄土」。
あ、昔の日本人が差別的ではなかった、とは全然思っていませんので(土着の人々を、ツチグモとかクズとか呼んでいる時点で差別意識はありましょう……がそれも、古代ギリシア人が異国民を「バルバロイ」と呼んでいた、というのと同じなだけかもしれませんが)。
日本が近代化する過程で置き去りにしてきた被差別部落の問題が、今でも世の中に影を落としているようです。
あまり意識することはないかもしれませんが、知り合いが結婚を考えたときにいろいろあった、とかなんとかかんとか。
問題は、我々が忘れていったほうがいいのか、あるいは正しい知識の元でそれらを乗り越えていくべきなのか。
本当は、こじれる前に乗り越えておかなければならなかったんでしょうけれども……だったらいっそ忘れてられてしまったほうがいいのかもしれません。
「歴代の弾左衛門が自分たちでは進んで「穢多」とは使わず、「長吏」としか記さなかったことからしても、この身分をやめて囲内の外に出るのは、むかしからの願望であった。」(p82)
少なくとも、望んでその身分になったわけではないのですから。
「清め」と「穢れ」の観点から言えば、生きるものは総じて「穢れ」ています。
常在菌の存在は、行きすぎた「抗菌」が身を滅ぼす可能性を示唆しています。
個々人に合った「清め」があるのでしょう。
そして、真に「清い」ものは、「神仏」の領域です。
つまりこの世のものではありません。
「厭離穢土、欣求浄土」。
浄土はあの世です。
それをこの世に作り出す必要はないのです。
どれほど穢れていても、精一杯、この世で生きるしかないのです。
「欣求穢土、厭離浄土」。