あれ、Kindle版しかない……。
『古城ゲーム』が面白かったので、それより前に出ていたのを買ってみました。
ベアトリス・カスパリーはオーストリアはザルツブルグ州の殺人課刑事。
主に一緒に捜査するのはフローリン。
別れた夫との間に親権の問題を抱えているベアトリスは、それに日々悩まされながらも、何とか母親業と刑事を両立させている。
両手を縛られた女性の死体が発見された。
崖から落下しての死亡だが、状況から見て、明らかに他殺だ。
ベアトリスとフローリンは現場に駆けつけ、死体を見聞していると、足の裏に何か書かれているのを発見する。
いや、書かれているのではなく、刺青のように彫られているのだ。
鑑識は、そのアルファベットと数字の羅列が、地球上の座標だと言った。
ベアトリスとフローリンは、座標の場所に向かった。
注意深く探してみると、タッパー容器が見つかった。
そこには、おそらくは犯人と思われる人物からのメッセージと、切断された手が入っていた。
「ステージ2
歌手を探せ。男で、名前はクリストフ。目は青く、左手の甲にあざがある。しばらく前ーー五、六年だろうかーー、ザルツブルクのどこかの合唱団に属していて、シューベルトのミサ曲変イ長調を歌った。そのことを大変自慢に思っている。彼の生年の下二桁を仮にAとしよう。Aを二乗して、37を足し、その数をここの緯度に足せ。
Aの各桁の数字を足した数を十倍し、その数にAを掛けろ。そこから229を引き、ここの緯度からその数を引け。ステージ2へようこそ。そこでまた会おう。」
それは、ジオキャッシングというゲームを真似た、大掛かりな宝探しゲーム。
追いかけるのは殺人犯。
しかし、果たしてその先に、本当に犯人はいるのだろうか。
早川の文庫で500ページ超なので、かなりの長編です。
ジオキャッシングで、GPSを駆使しながら手がかりを追いかけていくのですが、これが何か間違った手がかりで、真実から遠く誘導されているのではないか、という思いが消えない、というのは犯人に誘導される名探偵ものとしては古典的ですね。
これに近いものといえば、そう、クリスティの『ABC殺人事件』……あれはミッシングリンクをめぐるお話なのですが(そのミッシングリンクがドラマを非常に盛り上げつつ、世にも奇妙な犯人をあぶり出すのですが)、こちらは犯人から提供される証拠(主に死体の一部)とメッセージがすでにリンクされており、誘導されていると知りながら乗る以外にない捜査陣の苦悩がよく描かれています。
同時にベアトリスはシングルマザーで、前の夫との間にいざこざを抱えていて、子供たちも微妙な年齢に差し掛かる、という、人間ドラマもてんこもり。
相棒のフローリンに、何となく惹かれながらも……というところが、アメリカ的でない湿っぽさのようなものを感じられます(繊細ともいいますか)。
そして、ベアトリスのスタンドプレーで(こちらも実は古典的なのですが)、ジオキャッシングをしていた被害者のPCから発見した、犯人と思われる相手にメールを送ったりすることで、事態はスリリングに転がっていきます(昔の名探偵は、新聞広告を使ったものですが)。
こうして、いろいろな要素を見ていくと、非常に新しい(ジオキャッシング)ものでありながら、実に古典的な警察小説として書かれていることがわかります。
『古城ゲーム』は、ゲームそのものが中世という古い皮を被っていたのですが、こちらは最新のゲームという皮を被せた古き良き時代のミステリ、という感じでしょうか。
ある程度ミステリに擦れていると、途中で「あ、これは……」と思うんでしょうが、私、結構擦れているのに、そんなことも考えず、ただただページをめくっては驚いていました。
分量も、内容も、かなり重みのある長編ですが、古典的ということも含めて、非常に面白かったです。
うーん、こりゃヨーロッパの翻訳物をしばらく追いますかな……。
「きれいだね」フローリンが隣でささやいた。「全然知らない曲だ。これは……プッチーニ?」
「ううん。ヨーゼフ・ラインベルガー。『スターバト・マーテル』」ベアトリスは息を飲み込んだ。この曲が、どんなことがあろうと固まったままでいてくれなければ困る心のなかのなにかを、軟化させ始めたのに気づいた。
「すごいな。どうして知っているの?」
「お葬式のときによく歌われるのよ」(p78)