小説に挟み込んでノンフィクションを読むようにしているのですが、最近はちょっと東洋(というか日本の古代史)に触れ過ぎているので、揺り戻しで西洋へ。
「グノーシス」というのはギリシャ語で「認識」とか「知識」を表す言葉です。
キリスト教の中で「グノーシス派」といえば、異端の最たるものとして扱われてきました(カタリ派もヴァルドー派も、そこから枝分かれしたようなものです)。
なにしろ、2世紀にはすでに、「グノーシス派」に対する反駁が行われていたくらいですから(ミラノ勅令でローマの国教化するのは4世紀です)。
本書は、その「グノーシス派」の神話について、「ナグ・ハマディ文書」、「マンダ教」、「マニ教」の文献を用いて紹介するものです。
紹介される内容には、日本のオタクでも断片的に知っている、ソフィアやエンノイア、ゾーエー、アルコーン、デミウルゴス、ヤルダバオト等のおなじみキーワードが出てきますが、かなり硬派なものになっているのでそのあたりは覚悟して読まないとあきまへん(なぜ関西弁?)。
私が「グノーシス」を知ったのは、なんだろうなぁ……、
↑かなぁ。
そのあとは、
↑ですかね(原口先生の漫画、好きだったんだよなぁ結構……)。
ま、基本漫画から入ってます。
大学で異端をやろうかとも思ったんですが、ラテン語読めないと何ともならないので諦めましたわ。
それでも、当時『死海文書』が訳されたりしていましたから、図書館で文献を読んだりはしていました(をいをい、トマス・アクィナスとかアウグスティヌスとかを読みなさいよ)。
結局は、キーワードくらいしか残ってないんですけどね……。
まとにかく、頭の中のバランスをとるためにも、それから大学時代へのリベンジのためにも、キリスト教関係の本はときどき読むようにしています。
「この点に関しては、私は宮台の言う「新しいイノセンス」を入江ほどグノーシス主義と並行させようとは思わない。なぜなら、この「新しいイノセンス」は余りに楽天主義である。自分は無垢で、すべて世界が悪いのだ。高校生の実存理解としてはそれも仕方がないかも知れない。しかし、グノーシス主義者ーー少なくともシリア・エジプト型の神話を生み出したグノーシス主義者ーーの実存理解はもっと深刻かつ複雑だった。彼らは自分自身の中に一つの破れを垣間見て震撼し、そこに悪の起源を見た者たちである。」(p316)
いっとき流行りましたよね、宮台真司の「終わりなき日常」ってやつ。
私はそれ自体を否定しようとは思わなかったですし、むしろ「非日常」を生み出したいと望んでいた派なのですが、一方で頭のいい人たちの想像力ってどんなものなんだろうと思ったりもしました。
せいぜい100年、あるいは150年前には、百姓も商人も武士も「終わりなき日常」を生きていたにすぎないだろうに、現代人だけがそれから逃れ得る特権でも持っているのか、と。
「戦争がない」ということは、「終わりなき日常」なんですよね。
ただそれだけです。